
こんなことってあるんだね - 真鳥 URL
2014/06/07 (Sat) 16:41:30
ふとブログを発見してどうせ嘘なんだろうなと思って連絡してみたらすぐに3000万もらえました。
必要ならもっと支援するって言われたけど、こんな事って本当にあるんだね!
なんか私以外にも受け取ってる人がいるみたいだし、今だったらまだ受け取れると思うから困ってるなら連絡してみたら!
連絡先も教えておくね!
ちなみに相手は女性だよ。
また10、滋賀の旅 - モリゾーのひとり言
2013/12/06 (Fri) 21:58:07
ようやく紅葉の季節が来て、今年は滋賀県を中心に、びわ湖108霊場の中で紅葉の名所を訪れようと旅の計画。地元の寺宝展の無料シャトルバスも利用し、行ってきましたよ~
すみません - モリゾーじいさん
2013/12/07 (Sat) 12:39:20
ただいま編集中です。しばらくお待ち下さい。
移動しました。 - モリゾーじいさん
2013/12/08 (Sun) 12:29:17
今回の「また10、滋賀の旅」は、「寺社仏閣 ご朱印の旅」(http://gosyuinnnotabi.bbs.fc2bbs.net/)へ移動することになりました。
過去にご覧いただいた方々(といっても、身内だけですが。。。)、ありがとうございました。
また、これからも上記のURLでよろしくお願い致します。
日本に恩恵を施してきた中国 - うさぎ
2013/11/26 (Tue) 18:34:00
日本に恩恵を施してきた中国
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p034.html#page225
「元寇」はモンゴル人の仕業だったのだ。
( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p032.html )
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0102/p004.html )
また9、滋賀の旅 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:28:57
11月中旬。あいかわらず、びわ湖108霊場を巡礼し、今回は、奥びわ湖と呼ばれる余呉湖周辺の霊場を散策。といっても、バスの路線は数時間に1本というローカル線ならではの不便さ。なので、偶然にも手に入れた駅前のパンフレットに載っている旅行会社のツアーに“観音めぐり”というのがあり、申し込み。行ってきましたよ~
大吉寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:30:16
名古屋から長浜駅に到着し、浅井支所行きのバスで約30分。「野瀬」バス停で下車し、大吉寺を目指す。前回の長尾寺のように、古民家が並ぶ小路を抜け、下之森神社という社があったのでお参りし、次第に山林へと景色が変わる、緩やかな上り坂を進んでいく。
途中、1台の車が通りすぎ、私の数歩先で停車して窓を開け、声を掛けてくる。
「どこまで行くの?」
「大吉寺まで御朱印をもらいに行きます」
「・・・」
車はそのまま走り去り、「?」何だったのか。
心配して声を掛けてくださったのか、もしくは追剥か、とも思ったが、何はともあれ何事もなく再び歩いていく。昼間にもかかわらず、杉林が周りを取り囲んでいるので暗く、クマでも出てきそうな雰囲気。気合を入れ、上がっていくと、大吉寺と上之森神社の石碑が建っていて、奥へと参道が続き、燈籠が両側に並んでいる。
山門にたどり着くと、見下ろした場所に駐車スペースがあり、数台の車が駐車していて、道路を補修している工事関係の人が作業をしている。
な~んだ、先ほどの“声かけ”は私を工事関係者と見間違えたのだと納得&安心し、山門をくぐる。境内の先には庫裡があり、玄関を開けて訪ねてみると、誰もいない様子。目の前にある書置きのびわ湖108霊場の御朱印をもらい、志納し、冊子もいただく。
冊子には天吉山の見取り図が書かれていて、ここから階段を登れば本堂がある。本堂まで登ると、ただ静寂だけが周りを包み、遠くで工事の音が聞こえるだけ。当然、人がいないから、本尊の聖観音さんを拝むことはできないが、本堂前で手を合わせる。
昔は、本堂が今ある場所からさらに400mほど登ったところにあり、天吉寺と呼ばれていたらしい。冊子によると、平安末期に起こった源平の争乱に、源氏は敗北し、東国に落ち延びた一行から逸れた、当時13歳の頼朝が、草野定康という人物の助けにより、大吉寺に難を逃れ、やがて、天下が鎮まって、頼朝によって寺領の寄進が下されたとある。その本堂跡には、頼朝の供養塔が建てられ、その写真が掲載されていて「へぇ~」とうなずく。
さて、上之森神社の社もお参りし、バス停までもと来た道を戻るが、時間までまだまだ余裕がある。浅井支所まで歩いて戻るにも、かなり距離があるので、とりあえず、バス運賃を少しでも安くするため、バス停からバス停へと歩いてみる。その行動がいつの間にか、1時間と30分も歩いてしまい、結局、浅井支所から2件前のバス停にたどり着き、意外と歩けるものだなと妙に満足。あとで万歩計を調べたら、1万5千歩も歩いていて驚きました。
木之本地蔵院 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:31:24
長浜駅近くのホテルで宿泊し、翌日、いつもより遅いチェックアウト。JR北陸線木之本駅に下車すると、観光ツアーの出発時間までまだ1時間30分はある。それまで、駅から5分ほどにある木之本地蔵院へ。“門前町”のような、“宿場町”のような雰囲気の軒が並び、緩やかな坂を上っていくと、境内に面して北国街道が横切っていて、その街道から大きな地蔵仏が建っているのが見える。
境内に入ると、奉納の列が続き、御祈祷の縁日があるのだろうか、テントが貼ってある。大きな本堂に上がり、本尊の地蔵菩薩に手を合わせる。
本尊の地蔵尊は、縁起によると、大阪の難波の浦に流れついた地蔵があまりに金光を放つので、霊験新たかであると、その地に伽藍を建立し、その後、参詣者が絶えなかったという。が、地蔵菩薩は二仏中間の仏であるので、仏法の御縁が深い地に安置したほうがいいんじゃないか、ということで、奈良薬師寺の、そ(漢字がパソコンから拾えない字:示すに隹)蓮上人(それんしょうにん)が有縁の地を求めて行脚し、北国街道を下って、この木之本の地に来た。そこで柳の大木で休憩していると、地蔵さんは前にも増して金光を放たれ、この地の者の病や災難が消えていき、ここにおいて、伽藍を建立したとのこと。(冊子参照)
境内にある大きな地蔵仏を見上げていると、まさに朝陽の光が後光のように眩しく、縁起の話に準えて、思わずじっと見上げてしまう。その地蔵仏の足元には、片目をつぶったカエルの置物がびっしりと並び、このカエルは世の中から眼の病が無くなりますようにと、地蔵さんに願をかけている姿で、地蔵さんも一苦労してそう。
そんな地蔵さんの横には信州・善光寺と同じような暗闇散歩“戒壇巡り”があり、本堂の裏へ回れば、名勝庭園や裏地蔵、阿弥陀堂には国宝の阿弥陀如来が安置されていて、充分、散策、堪能しました。
黒田安念寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:32:31
木ノ本駅に戻り、観光館内所で“観音めぐり”ツアーの受付を済ませ、小ぶりの観光バスに乗っていざ出発。地元のツアーガイドさんと一緒に、木之本周辺の観音様をめぐる今日のお客さんは15人。和気藹々と、遠くは関東から東海、関西と幅広く参加されていて、年齢層は私が一番若い(後厄ですが...)。みなさん、このツアーに何回も参加されている方が多く、それだけ普段、訪れることができないようなマニアックな仏像めぐりなので、評判はいいらしい。
最初に訪れる黒田安念寺は住職を持たない、地元の方が管理されているお堂で、さっそくその方々が出迎えて下さる。
「オー!」と、これぞ、マニアック。
10体あるすべてがほとんど顔や体の原型を留めていながらも、痛みが激しいせいか、十一面観音なのか、聖観音なのか、名札がついているだけで判別するしかない。だが、有る意味、想像力が働き、こんな形をしていたという、自分なりの仏像が出来上がり、その存在はインパクト大。テープで観音様の由来に耳を傾けていると、本尊は聖観世音菩薩で、詳厳法師が開基。この法師が、平安の都で権勢を誇った藤原不比等の子供で、藤原一族の中で職を就いていたが、無実の汚名を受け、世をはかなみ、僧となってこの地に草庵を結んだのが始まりと伝えられている。その藤原一族の末裔が今もこの仏像群をお守りしているそうで、歴史を感じる。
平安時代には七堂伽藍が建ち、大いに栄えていたが、やはりここも信長の兵火にかかり、堂宇を焼失。仏像は村民によって、田の中に隠して難を逃れた。そんな仏像も最初は17体あったが、7体盗難に遭い、村民の虚しさが見える。
この地方には、江州・伊香の33観音霊場があってここもその1つ。御朱印をいただき次へ。
黒田観音寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:33:43
来年のNHK大河ドラマは「黒田官兵衛」が主人公。木之本駅には黒田官兵衛の暖簾やパンフレットがあり、観光協会としては今から来年かけて、イベントなどの催しに力を入れているのが分かる。そんな黒田の祖先がいる、この地域にバスは移動し、このツアーの核となる黒田観音寺には本尊の千手観世音菩薩が安置されている。
とはいえ、ここも“寺”ではなく、お堂がぽつんとあり、地元の方々が出迎えて下さる。お堂の中には厨子があり、厨子の扉が開くと「オー!」と皆さんざわつく。
ガイドさんの話によると、行基さんが仏の教えを広めるためにこの地に千手観音像を彫り、お堂を建立したのが始まり。そんでも長い間の戦乱や風雨により荒廃し、寺績が跡形もなく消えうせようとした。そうした時、臨済宗の高僧が訪れ、この尊像を目にして驚き、寺を修復、観音寺を興隆した。この高僧の立派な行いに感動した、保崎谷長者と呼ばれる地元の豪族が浄財を寄進し、寺門の資金に充て、他の人々にも勧めてこの寺に信心するように図った。この保崎谷長者こそ、後の黒田候の祖先であるとのこと。
仏像は千手観音というよりは准胝観音の姿に近く、奈良朝時代の特徴を持った平安朝初期のもの。左右18の御手(腕)を見ていると、筋肉の筋さえ表されているほど美しく、顔は豊満でありながら、目は切れ上がっていて厳か。と思っていたら、頭上の照明を消すと、顔の表情が朗らかに変わる。
ガイドさん曰く、仏像を見るときは人の好みにもよるが、なるべく遠くから眺めた方がその仏像の良さが分かり、仏師さんも、人が座って見上げたときに見える仏像の表情をなるべく表すようにしているとのことで、なるほど、っとうなずく。
そんな仏像をいつまでも眺めながら、こんな立派な仏像が今日まで存在しているということに、改めてすごい!と感心しました。
ウッディパル余呉 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:34:58
あっという間のお昼時。昼食タイムはスキー場や野外キャンプ場も楽しめるウッディパル余呉という施設で休憩。揃って豪勢な昼食にありつくと、不思議な野菜を発見。ガイドさんがこの野菜は「ツブリナ」といって、塩もかけてないのに「ツブリナ」自体に塩味がついていて、人工栽培で農薬を使わず、1年を通して安定した品質を保てる植物らしい。後で、ネットで調べてみると、「ツブリナ」の「ツブ」はツブツブした外観、「リ」はリーフ(葉)、「ナ」は長浜産という語源からネーミングし、ストレスを感じて育つ植物として今も研究開発されているとのこと。(へぇ~)
小鉢には秋の味覚、サツマイモや椎茸類等いろいろあり、携帯コンロでぐつぐつと豚の細切れや白菜、白ねぎ等が入った小鍋で煮る鍋料理とあり、結構ボリュームがある。
お腹も満たされ、しばらく休憩時間の間、丸太小屋の宿泊施設が丘に沿って建っている道沿いにはモミジが色合いを見せ、写真を撮りまくり。もう紅葉の時期なのだなぁ~とおもうのでありました。
洞寿院 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:36:06
余呉町の北東にあたる奥深い妙理の里には洞寿院がある。今は整備された道路が洞寿院へと続いているが、昔は鬱蒼と茂る山奥を歩かなければならず、もう北側の境は福井県で、冬になると豪雪地帯となり、道路の谷沿いには雪が積もった時に目印となるよう、赤い棒状の標識がいくつも並んでいる。
バスは洞寿院山門前にたどり着き、目の前に聳える巨大な杉木立が歴史の趣を感じさせる。
山門をくぐると、境内には背の高いモミジが色づき見頃を迎えていて、正面、本堂兼庫裡の大きな屋根が、やはり、雪用に造られた構造になっていて、昼間なのにもう、山の稜線から太陽が隠れ肌寒い。
畳敷きの本堂に上がると、住職さんによる当寺の歴史や仏像についてお話して下され、ここは曹洞宗の禅寺で、坐禅道場をする修行場。昔は福井県の永平寺の通り道として栄えたそうで、「雲堂」と名づけられた坐禅堂も案内され、背筋が伸びる。人里離れたこの場所で坐禅によって精神を鍛える、いや~、生温い社会で生活している私にとって、一度は経験してしかるべきかなぁ~と思いました。
そしてここは、びわ湖108霊場なので忘れないように御朱印をいただき次へ。
上丹生薬師堂 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:37:27
バスは普通の民家が並ぶ細い道を通り、歩いて数分、お堂にしては大きな造りになっていて、村民が出迎えて下さる。
上丹生薬師堂は長福寺という寺で、興廃を繰り返し、現在は寺院という形態はすでになく、源昌寺の一抹寺となっている。村民たちの手で再建された薬師堂は山車の収蔵庫として使われていて、このお堂自体、県の重要文化財に指定されている。本尊は薬師如来立像で、こちらは国の重文。厨子の中に50年毎に開帳される秘仏といて祀られているので、写真でしか見ることができないが、前立の薬師如来座像や日光・月光菩薩等、拝観できる。村民の方曰く、50年に1度しか拝むことができないので、村民ですら見たことがないと。あと20年ぐらい経ないと開帳しないので、それまで生きていられるかどうかと、冗談を交え話してくれる。20年ぐらいだと、私は60歳前後。定年を迎えるころで、生きていられるか、先のことはわからないが、機会があれば再び、この目で見てみたい。
村民の温かいおもてなしに、一期一会、お体に気をつけて下さいと別れを告げるのでありました。
全長寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:38:38
国鉄時代に線路が通っていた「中之郷」駅の看板が、今は虚しく建っているだけの街道筋をバスは走り、全長寺に到着。広大な田畑が拡がる中に、ぽつんと大きな境内がある。山門を抜け、参道を真っすぐ歩くとダルマの石像が目に飛び込んでくる。境内をよく見ると、七福神の石像があちこちあり、新しく整備されたような雰囲気の中、馬頭観音が安置されている小さなお堂に案内される。
寺の奥さんだろうか、この方もこの企画のボランティアガイドを務めていて、説明も慣れたもの。私の記憶があいまいだが、馬頭観音について、ある方は大病を患い、どうしても生きたい、生かせて下さいと観音さまに手を合わせ、御祈祷したところ、病院の検査でレントゲンだったか、MRIだったか、影が消えて奇跡的に助かり、○百万円の寄付があった、というエピソードによって、いかに馬頭観音がありがたい存在であるかを話してくださる。
そのほかに、当寺は毛受(めんじゅ)兄弟の菩提寺であり、後で冊子を読んでわかったことだが、この兄弟、愛知県春日井郡出身。兄の毛受茂左衛門、弟の庄助は柴田勝家の家臣で、弟は長島の戦いで武功をあげ、勝家から名をもらい毛受勝助家照と拝謁されるほどの活躍をした。そんな兄弟も羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦い(まさにこの全長寺を境に争った)により、主君を逃すため、自分が勝家であると叫んで身代わりとなり、討ち死にした話は、後生、秀吉によって敵ながらあっぱれ!ということで、この兄弟の親族をわざわざ探し出し、丁重に菩提を弔ったとされている。
本堂へと移動すると、各部屋へと案内され、五百羅漢やダルマの掛け軸等、拝観。お茶のおもてなしを受け、なんか忙しく移動したので、馬頭観音と毛受兄弟以外、頭に入ってきませんでしたが、今まで知らなかったことを知ることができて、百聞は一見にしかずでありました。
光勝庵 - モリゾーのひとり言
2013/11/19 (Tue) 23:39:53
全長寺からバスでちょっと移動し、光勝庵へ。ここも地元の方が出迎えて下さり小さなお堂へと入る。ここの本尊は十一面観音立像で、もとは安養寺に安置されていて、いわゆる昔の神仏習合により、草岡神社という社の境内に安養寺はあり、神宮寺として栄えていたが、明治の廃仏毀釈により、仏閣の取り壊しの憂き目に遭い、円通庵へ遷仏され、この円通庵も氏仏を発起するには手狭であったため、光勝庵へと遷仏された(冊子参照)とある。
十一面観音立像について、地元の方から説明があり、見た目、黒くすすけた様になっているが、焼けたとかではなく、漆箔が施されていて、昔は金箔が貼られ黄金に輝いていたとのことで、今ではうっすらと所々に金箔が残っている。伝え聞くところによると、仏像の足の裏に銘があるといわれていて、作風は定朝風。平安時代中期の仏師で、宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来や奈良興福寺の仏像などの作品があり、豊満な顔に笑みをたたえた、穏やかな表情をしているのが特徴。
現在、この観音さまをお守りしているのは檀徒の6人だけで、このまま後継者がなくなれば、また他の寺へ遷仏されてしまうのだろうか、と思うと切ないが、一生守られていくこと考えると仕方のないことだろう。
お茶のおもてなしをいただき、窓から見える田畑の平原を眺めながら、ここで賤ヶ岳の戦いが行われ、農民は戦乱に巻き込まれないために近くの山へと逃げる、ガイドさんの説明を思い出し、この土地の風土というものを、十一面観音を守っていくということを通じて、ちょっとだけだが、肌で感じられたかなぁ~と思い、今回もいい旅となりました。
ルイヴィトン バッグ - ルイヴィトン バッグ
2013/11/11 (Mon) 13:27:42
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また8、滋賀の旅 - モリゾーのひとり言
2013/11/10 (Sun) 16:27:58
こんにちは。びわ湖108霊場も大分数をこなし、残り20。近江西国も手で数えるほどに減ってラストスパート...といいたいところだが、まだまだ前途多難。
11月は紅葉の時期に合わせ、紅葉狩りのできるお寺を回る計画を立て、とにかく情報を仕入れることで不安を解消するようにし、万全の準備を整える毎日が日々忙しい。そんな中、10月下旬、湖北を中心に始めての竹生島にも行ってきましたよ~
菅浦 - モリゾーのひとり言
2013/11/10 (Sun) 16:29:22
名古屋から米原を経由し、北陸線、湖西線と、もう南海もこの路線を利用しているので慣れたもの。湖西線、永原駅に到着し、バスの時間まで駅舎で待っていると、観光案内所があったので聞いてみることに。 ...というのも、これから行く菅浦地区にある阿弥陀寺は事前連絡が必要で、前日に何回も電話をしたが留守のようで、留守電にメッセージを伝え、当日も電話をしたが、出ないこともあって一応、案内所の方に尋ねてみる。
「確か阿弥陀寺の住職さん、一週間ほど福○県に出掛けているようですよ」
「えっ!そ、そうなんですか!」
不安がよぎるが、ここまで来たからには行ってみることにし、バスに揺られること30分ほど、終点「菅浦」バス停に到着すると、そこには風光明媚な土地柄だと肌でわかるほど、隠れ里に近い雰囲気を醸し出す。まずは、さっそく阿弥陀寺を目指し民家が並ぶ細い路地を歩いていき、数段の石段を上って境内へ。お一人、境内の掃除をしている人がいたので尋ねてみると、やはりお寺は不在のようで、氏子の方だろうか、慣れたもので、御朱印について逆に説明して下さる。
御朱印は先ほど上がってきた石段の脇にある小さなお堂の中にあり、今、開いているので、志納してその中から持っていって下さいとのこと。本尊の阿弥陀仏にはお会いできなかったが、まぁ、仕方がないと思い、手を合わせ後にする。
次にバスの時間まで2時間はたっぷりあり、菅浦の町並みや湖岸沿いを散策。対岸から見える景色は海かと見間違えるほど静かに波があり、上空を見上げれば、鳶が数羽泣きながら優雅に飛んでいて、なかなか良い。
再びバス停に戻ると、到着時に気にかかっていた須賀神社の鳥居があり、看板に「本殿は石組から舟型御陵と呼び氏子は素足で参拝する」と書かれてある。地元の人にとっては神聖な場所なんだろう、と思い、私は氏子じゃないので靴のまま失礼しま~すと、そこから一直線に続く上り坂の参道を歩いていくと小雨が降り出し、ついに本降りに。まるで神様が上ることを拒むかのように...
「こ、これは祟りじゃ~」
と、思いながらも参道脇に植えられている大きな木を雨宿りしながら上がっていく。すると、屋根つきの手水舎が見えてきて、そこで一時、雨を凌ぐ。その手水舎の横にスリッパ等が置かれた靴箱が備え付けられていて、何やら注意書きが。
「ここより上は身心を清めると共に神域清浄保持のため土足を禁止します」と書いてあり、ここからはスリッパに履き替えて拝殿へと赴かなければならない。手を洗い、靴を脱ぎ、サンダルに履き替えていると、さっきまで降っていた雨が嘘のように止み、神の成せる業か、やはりどこからか見ているのか、な~んて、ふと思いながら段々厳粛な気持ちになる。
ごつごつした石段を上り、拝殿でお参りすると、いつの間にか周りの針葉樹林から光が射し込み晴れ間が...って、ひねくれ者の私は偶然でしょ!っと片付け、菅浦の町並みを遠くに眺めながら旅愁に浸るのでした。
腹帯観音堂 - モリゾーのひとり言
2013/11/10 (Sun) 16:30:31
菅浦のバス停からバスに揺られること15分ほどで、丸子船の館バス停で降りる。歩いて数分のところにある観音堂は、この地域の氏子さんらによって管理・維持されているので、前もって電話連絡で拝観予約をしなければならない。約束の15:00ごろに到着すると、お堂で待っていて下さって、さっそく中に入る。お堂には十一面観音像が真ん中に安置されていて、両脇には毘沙門天と地蔵菩薩が“警護”をしていて、他にも阿弥陀如来等も安置されている。
まずは手を合わせお参り。
腹帯観音堂はその名の通り、腹帯を巻いた十一面観音が本尊で安産や子宝等の御利益があり、あの美智子皇后もお忍びで訪れたことがあるほど、全国から祈願に見える方がいて有名らしい。比叡山延暦寺の開祖、最澄がかやの木を一刀彫で十一面観音を作り、やはりここでも姉川合戦では戦火から逃れるため当時境内にあった蓮池に沈め、難を逃れたとのこと。
びわ湖108霊場の御朱印をいただき、帰り際、気づいたらカメムシが堂内に数十匹とはびこっていて大変。そういえば、永原駅でも観光案内所の人が業者さんと一緒に、カメムシを駆除している姿を目にしたことをお話すると、毎年、この地域ではこの時期、なぜかカメムシが大量発生するらしく、頭を悩ませているようだ。別れを告げ、永原駅までは歩いて20分ほど。電車の時間にもまだ余裕があるので、近くの丸子船の館の施設を見学。外からガラス越しに一艘の大きな船が展示されている建物が印象的で、丸子船についての歴史を探る。
琵琶湖は古来より、京阪神への水源であると同時に重要な交通の要衝で、流通に盛んであった。そんな時代の流れによって丸子船は琵琶湖特有の形状進化をした船となり、波に乗るように船底を平べったく、帆柱を後ろに、積荷を船首から帆柱あたりまで積める造りになっていて、江戸時代は特に運搬が盛んだった、歴史がある。
館内は丸子船をはじめ、ジオラマや備品の展示など、丸子船がいかに琵琶湖で活躍したかがわかる。
この地域の人たちはびわ湖という大きな存在とともに、一緒に歴史を刻んできたんだなぁ~と思うのでありました。
竹生島(1) - モリゾーのひとり言
2013/11/10 (Sun) 16:31:51
JR湖西線、近江今津駅近くのホテルに宿泊し、翌日、歩いて数分の今津港へ。事前に琵琶湖汽船のホームページから予約し、ちゃっかり、割引用のパンフを印刷した用紙を窓口で見せ、料金を1.5割引してもらう。今津港から竹生島までのクルージングは約30分。その間船内では、琵琶湖の歴史や竹生島宝厳寺についてアナウンスやビデオで紹介していて、琵琶湖が昔、三重県の上野市あたりまで広がっていたことや、滋賀県の国土の3分の1(だったかな?)の湖、同県の瀬田川へと注ぎ、京都府の宇治川、大阪府淀川、大阪湾へと流れていくことなど改めて「へぇ~」と感心する。
船は竹生島の港に接岸し下船すると、TV等の映像で見た宝厳寺の境内は広がり、遠くには急勾配の石段を上る人の姿が見える。
2、3件のお土産屋さんを素通りし、入山料を自動販売機で購入。いきなり壁(?)のような石段を上りきると、左手に立派な弁財天堂(本堂)があり、さっそくお参り。堂内には行基が彫刻した本尊の大弁財天が安置されていて、参拝場所に弁財天が左右2体鎮座していて、参拝者を見守っている。賽銭箱横には真っ赤なミニダルマが積み上げられていて、「幸せ願いダルマ」と言って、お願い事を書いた紙をダルマの中に納め、本堂に奉納する願掛けで、御利益にあやかろうとする人が大勢いると垣間見えてくる。
納経所へ行き、西国、大弁財天、びわ湖108の御朱印をお願いしていると、同じ参拝客のご老人が話しかけてきて、びわ湖108霊場について談笑。やはり、湖南や湖東は全部回りやすいが、湖北と湖西は根気がいるとのこと。その苦労を知っているだけに話が盛り上がり、納経所の人も巻き込んで話が弾む。別れを告げ、宝物館を拝観し、そしていよいよ唐門・舟廊下へ。
竹生島(2) - モリゾーのひとり言
2013/11/10 (Sun) 16:33:10
国宝の唐門は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたもの。そして、平成18年にオーストリアにあるエッゲンベルグ城にて「大坂城図屏風」が発見され、その絵の中に、「極楽門」の前身であったと伝えられている大坂城の本丸北方に架けられていた「極楽橋」の姿が描かれており、その絵図から判断して、唐門は秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構であるのは間違いないのではないかと言われている。一方、重文の舟廊下は朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓を利用して作られたところから、その名がついている。(冊子参照)
石段を下っていくと竹生島の港が見下ろせ、その左手(東側)に唐門がある。檜皮葺屋根は苔が生え、それがかえって歴史の趣を感じることができ、唐破風の下に彫刻された装飾など、これがそのまま大阪城の極楽橋にあったことを思うと、「ほーっ」とうなずいてしまう。
唐門から入り、舟廊下を“渡る”とまさに舟の中にいる気分。両側にいくつかの格子の窓があり、低い天井は屋根裏のように覆い、まっすぐに続いている。現在、舟廊下の屋根は修復工事中で、その工事現場も見ることができ、作業員が茅葺屋根に乗って釘を打っている。先ほどの唐門も近々、修復工事に入るとのことで、完成は平成31年3月予定。ちょうどいいタイミングで訪れたのは運がよかったかもしれない。
舟廊下を抜けると観音堂があり、お参り。そして、道なりに進んでいくと都久夫須麻神社の拝殿があり、ここでもお参り。当神社は拝殿がブルーシートに覆われ修復工事中で、宮司さんは外の狭いスペースで“店番”をしていて窮屈そう。御朱印をお願いし、「かわらけ除け」といわれる、いわゆる目標物に小さな瓦を投げて当てる、もしくは穴などを通り越せば厄除け成就という全国の寺社にはよくある“遊び”(いやいや、立派な神事です)があるのでちょっと見に行くことに。修復工事中のベニヤ板で囲まれた通路を進んでいくと、ぽっかりと開いた窓から潮風ならぬ湖風(こんな言葉あっただろうか)が吹き、外を見下ろすと大量の瓦が鳥居の周り一帯に散乱していて、人々の的を射た願いなのか、的を外した怨念か、人々のそれぞれの想いが積み重なっているように見え、早々に立ち去る。
元来たお土産屋さんのところで暇を持て余し、約1時間ちょいの散策、充分堪能しました。
海津大崎 - モリゾーのひとり言
2013/11/10 (Sun) 16:34:19
今津港に戻るとお昼時。観光船のりばの2階に食事処があり、ランチを注文。帰り際、レジで店員さんからハロウィンのお菓子をいただき、こういうちょっとしたプレゼントが嬉しい。
JR近江今津から湖西線マキノ駅へ移動し、湖国バスでびわ湖108の26番、正行院へ行く。御朱印をいただき、バスの時間まで近くの湖岸沿いを散策。
湖岸沿いには桜の木がずらりと並び、今は桜の葉が赤く色づいている。北東方向へそのまま歩いていけば海津大崎へとつながり、近江西国9番、びわ湖108霊場の25番の大崎寺があるが、桜が咲く春まではおあずけとし、途中まで下見。旅行会社の広告には春先に海津大崎を巡る遊覧船等の花見ツアーがあるほど、桜の名所としても有名で、この桜の枯木の風景を眺めていても、咲いたときの桜並木が想像でき、春まで待ち遠しい。そんなことを思いながら、釣り人や散歩している人がいる風景を眺めながらびわ湖のように穏やかな昼下がりをしばらく過しました。
また7、滋賀の旅 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:58:40
10月上旬。台風が次から次へと日本列島にやってくる季節だが、な~んか、台風を気にしすぎて、いつ晴れるのか、いつ行けるのか、、、っと、TVの天気予報ばかり見てしまう。
さて、びわ湖108霊場も徐々に数をこなす日々だが、今回は日帰りで行ってきましたよ~
西野薬師堂 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:59:50
JR北陸線の高月駅に到着し、事前に予約を入れておいたコミュニティバスに乗り、揺られること10分ほど。西野薬師堂に着くと囲いのない境内があり、ポツンポツンとお堂や祠がある。寺務所のような小屋には誰もおらず、窓ガラスに“拝観希望の方はこちらまで”と電話番号が書いてあり、さっそく電話してみる。「・・・」出ない。
やはり前日に予約の電話を入れておけばよかったかな?と思いながら、とりあえず境内にある祠や力石などの説明書きを一通り読んであちこち散策していると、「拝観に来たのかね」と年配の方が近づいてくる。
「はい、先ほどお電話したんですけど...」
「あー、境内をウロウロしている人が(窓から)見えたので、電話を取るまでもなく(ここへ)来たんだよ」
その方は薬師堂を管理されている方で、曜日によって管理する順番が決まっているらしく、たまたま近所にお住まいのよう。恐縮しきりで言われるがままお堂の中へと入る。お堂の中には十一面観音立像と薬師如来像の2体が安置されていて、そんなに仏像に関して詳しい知識もないが、ず~っと見ていても飽きないほど、何とも言えないいで立ちで素晴らしいの一言。管理の方にいろいろお話を聞いていると、その昔、度重なる戦乱で荒廃し、浅井氏の兵火にかかって堂宇を焼失。集落の人々によって仏像を土に埋めて隠し、難を逃れたとのこと。
そんな貴重な仏像が奥びわ湖と呼ばれるこの地方には数多く所在していて、この地方では“観音めぐり”と称して4月上旬ごろに無料でバスが巡回、各寺の拝観料も無料になる1日があるらしく、それはぜひ行ってみたいイベント。普段なかなかお目にかかれないこともあって大盛況のようで、いつかは訪れてみたい。
拝観を終え帰り際、管理の方に正妙寺というお寺が北へ400m(だったかな)ぐらい歩けばあり、そこも電話をすれば拝観できるとのことで、予約したバスの時間が微妙なので、とりあえず電話はせず行ってみることに。矢印を示す案内を辿っていくと、日枝神社の鳥居が見えてきて、立派な社殿が建っている。手を合わせ、境内に咲いている彼岸花をカメラに収めていたせいか、時間がなくなり結局、正妙寺へは行けずじまい。後日、どんな仏像が安置されているか、たまたま駅前のパンフレットを持ち帰った中に掲載していて、足が千本もある十一面千手千足観音立像の写真が載っていてビックリ。こんな変わった仏像があるとはつゆ知らず、また機会があれば訪れたいと悔やむのでした。
渡岸寺観音堂 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 15:01:09
高月駅に戻ると、歩いて10分ほどにある渡岸寺観音堂へ。境内は広く大きな駐車場も完備されているところを見ると、やはり有名なお寺らしい。“やはり”とは駅前のパンフレットの情報に、国宝の仏像があることを知り、その情報だけで来たので、どんなお寺なのかもわからない。
受付で拝観料を支払い本堂へと上がり、まずは手を合わせる。国宝の十一面観音は宝物館に納められていて、さっそく移動し中に入る。っと、「オーっ!」と声には出さないが、国宝級といわれるだけあって、たおやかな体の曲線でありながら、その重厚さというのだろうか、素人の私でも何となく“違う”というのがわかる。しばらく拝観をしていると、係りの方が館内にある仏像の説明をしてくださり耳を傾ける。
全国で国宝に指定されている十一面観音は6体で、その中で一番美しい姿をされているのがこの観音さまらしい。十一面の中でも後頭部にある「暴悪大笑面」というまさに悪魔の笑顔かとおもわせるような面は、人の裏に潜む表情を表しているのか。まぁ、なんといっても仏像の背面まで拝観できるというのがいい。大体、お寺の仏像は壁を背にして正面からしか見られないが、ここは360°ぐるりと国宝を拝むことができ、十一面すべての特徴を捉えることができる。なので、一回りしてその細部にまで目が届き、十分に堪能できる。
冊子によると、渡岸寺観音堂は最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立し、多くの仏像を安置していたが、浅井、織田の兵乱によって兵火にかかり、堂宇を襲い、その後、向源寺として建立したとある。京へのぼるにはこの地を支配することが当時の要だったので、戦国の兵乱によってほとんどの堂宇を失ったお寺は、滋賀県には数多くあり、そして人々もまた、仏像を守ろうとする信仰心が強かった、この土地柄の風土をこの十一面観音によって学ぶことができた気がしました。
小谷寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 15:02:32
高月駅に戻り、1駅南の河毛駅で下車。コミュニティバスに乗り、小谷城歴史史料館バス停で降りると、小谷山と虎御前山が見え、それぞれ前者が浅井氏の居城跡、後者が姉川の戦いで織田信長が布陣した場所が実際にこの地を駆け巡ったと思うと、歴史の趣を感じる。
バス停から300mぐらい歩くと歴史史料館があり、さっそく見学。規模は小さいが浅井家に関する資料や小谷城跡のことなど展示されていて、再認識。まぁ~、ほとんどの人が小谷城跡への登山客なので、その手助けをする案内所といったところだろうか、登山ルートの地図や注意書きが壁に貼ってある。
今回の私の目的はびわ湖108霊場の小谷寺なので、とりあえず、そこへ目指して移動する。小谷山の稜線を眺めながら、少しは当時の人の気分になって15分ほど歩く。田畑が広がる平地に、東へ一本の桜の木が並んでいる参道があり、そこへ進んでいくとお堂がぽつんと見えてくる。
小谷寺は浅井家の祈願所として栄え、小谷城築城のため小谷城下に移転し、小谷城落城時に寺院は消失。その後、秀吉の許しを受け再建。お市が柴田勝家に嫁ぐ途中、小谷寺に立ち寄り厨子を奉納したとのこと。(ネット参照)
お参りを済ませ御朱印をいただき、もと来た道を戻ると、下山をした登山客と大勢すれ違い、ベンチで休憩。その中に私も混じって、登った体(てい)で、ベンチで休憩。ほとんどの人は安堵の表情を浮かべ、登山に満足している様子。近くには、2年前のNHKの大河ドラマ「江」の放映記念の、浅井家の家紋をあしらった巨大な「兜」のオブジェがあり、記念撮影をしている人がいたりして、まだまだ人気は絶えないようだ。
また6、滋賀の旅 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:46:38
9月下旬。まだまだ残暑が続くこの天候は、いつまで続くのか?気づいたら正月が暑い季節になっている、な~んて、Drスランプの漫画であったが、もうそろそろ涼しくなってほしい。
そんな中、今回はびわ湖108霊場、井伊家ゆかりの社寺めぐりに、彦根を中心に行ってきましたよ~
松尾寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:48:16
名古屋から東海道本線を岐阜、大垣と越え、醒ヶ井駅で下車。近江バスで15分ほど移動し、終点の鱒養場バス停で降りると、そこは森林に覆われたキャンプ場といった感じ。事前にネットで調べて知っていたが、豊富な水資源を売りに、鱒の養殖場があり、釣堀の施設などが見える。
生茂る脇道を上って行くと、鱒料理が味わえる「醒井楼」があって、お店兼松尾寺を営んでいる家があり、お堂はその家の上り坂を上がったところにある。
松尾寺は役行者が山岳修行を求め入山したと伝えられる霊地。平安時代に役行者の修行の遺風を慕い、この霊地を愛したのが伊吹山寺の松尾童子で、ここに堂舎を起こして寺の興隆に力を注いだとある。(冊子参照)本尊は十一面観音菩薩と聖観音菩薩の二体が雲の上に仲良く並んでいて、一般に飛行観音と呼ばれて崇敬されていたようで、戦時中は飛行機に乗る人たちの信仰を集め、戦場へ旅立つ若人が祈願に訪れたとのこと。本尊は秘仏で、公開のときはぜひ、足を運びたい。
玄関で御朱印をお願いしている間、鱒料理のメニューが並ぶ看板や醒ヶ井周辺の観光案内が壁に貼ってあり、一通り眺めていると、1枚の写真に目が留まる。川の清流に「梅花藻」(バイカモ)と呼ばれる植物が水中で花を咲かせている写真で、つい最近、TVで富士山のお膝元、三島市の源兵衛川で咲いている「梅花藻」について思い出す。きれいな水の中でしか生長しない「梅花藻」がここ、醒ヶ井の地でも同じように咲いているということは、清流であること間違いなしと納得。主人に「梅花藻」のことを尋ねると、今年も咲いていたそうで、9月の台風の影響で豪雨となり、増水した川と化してすべてなくなってしまったとのこと。このところの異常気象に、世の中もおかしくなってきていると嘆き、心配するも、最後は、「どうぞ、また来てくださいね」と勧めて下さり、いろんなパンフレットをいただくのでありました。
宗安寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:49:42
醒ヶ井駅から米原を経由し、彦根駅で下車。彦根の地ははじめてで、あの有名な彦根城も桜の時期が来るまでは行かないこととし、今回も霊場めぐりに徹する。
陽が沈むまで時間の許す限り、彦根市内の寺社仏閣をめぐることとし、まずは滋賀県護国神社でお参り。彦根城の石垣を眺めながら、西へ歩き、「本町キャッスルロード」と呼ばれているお土産屋などがある整備された界隈の中にある、宗安寺を目指す。
宗安寺は群馬県の高崎城主、井伊直正公が、関ヶ原の戦いの勲功で、石田三成公の近江佐和山城をもらい受け、彦根初代藩主となったとき、徳川家康の養女として嫁していた正室の東梅院殿により、高崎安国寺から佐和山麓に建立され、彦根城下町の形成に伴い、現在地に移転された。また、城下町の中央に位置していることから、朝鮮通信使の正使宿館に定められた、とある。(冊子参照)
拝観をお願いすると、まずは本尊の阿弥陀如来像に手を合わせ、寺の宝物を拝観する。この阿弥陀如来は、井伊家家臣が大阪夏の陣で、大阪城から拝持した淀殿の念持仏とされ、思わず見入ってしまう。和室に移動すると、「彼岸白道の庭」を眺めながら書院には、石田三成の地蔵尊や千体仏、朝鮮通信使との関係資料など並び、一通り見て一息つく。
帰りは「赤門」と呼ばれる朱塗りの佐和山城の大手門を移築した表門をくぐり、近江の歴史に触れるのでありました。
大師寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:50:59
宗安寺から南へ、天宇受売命、猿田彦命を祭神とし、芸能の祖神として知られる千代神社でお参りし、さらに彦根駅近くの大師寺へ。狭い路地を進んでいくと、こぢんまりとした境内に本堂があり、堂内に横向きに寝そべった仏様が見える。
大師寺は日本隋一の「寝弘法」さんの寺として有名で、この「寝弘法」さんの頭の中には京都の東寺よりお分けいただいた「お舎利」さん(お釈迦様のご遺骨の一部)が奉納されている。「なで仏」のように頭と体を撫でると御利益があるようで、布団の上で寝返りを打つ姿は穏やかな表情をしているように見える。
「井伊家ゆかりの社寺めぐり」のパンフレットには、彦根周辺の皆様から「駅前の弘法さん」として親しまれているようで、彦根城に目が向きがちな他県の人にはこんな寺があるなんて気づかないのか、私が訪れたときは誰もおらず、シーンと静まり返り、それが返って地元に愛されている寺なのだろうと思いました。
天寧寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:52:24
翌日、彦根駅から近江バスで多賀町役場前行き、「野田山口」で下車し、歩くこと15分ほどで金比羅宮慈眼寺に到着。慈眼寺は元、天台宗の寺院であったが、1571年、全山焼失してしまい、その後、1704年に曹洞宗寺院になり、今に到っている。
石段を上ると左手に樹齢1200年の大きな杉の木が3本あり、しばらくずぅ~と、上の方まで眺めながら、まだまだ続く石段を上っていくと、金比羅宮の社があり、神仏習合の寺社だということがわかる。御朱印をお願いすると、書く方がいないので郵便で後日、送りますよ とのことで、お願いをすることに。
バス停に戻り、バスの時間まで待っているとなかなかバスが来ない。30、40分と待っているが来ない。「?」。バス停に看板に目をやると、先日の台風の影響で名神高速道路の補修工事があり、迂回路として一般道を使用し、渋滞が予想されます と注意書きが。
「え~っ」と思いながらも、頭を切り替え、どうすべきか困った時のタブレットを開き次の目的地の天寧寺まで歩いて行けるか検索。天寧寺まで歩いて約30分。。。 いつまで待っても来ない仕方がないので、バスは諦め、歩くことに。
次のバス停を目標に、1つ、2つと、バス停を通り過ぎ、結局30分歩いてバスが来なかったので、あのまま待っていたら1時間は無駄な時間を過ごしていただろう。
天寧寺に到着すると、受付で拝観をお願いし、羅漢堂に入る。天寧寺はびわ湖108霊場の58番で、萩の寺とも言われている。何といってもこの寺のメインは五百羅漢。井伊家の11代藩主直中公は、不義の子を宿した腰元若竹を成敗してしまう。何度問いただしても腰元は子の父の名を明かさず、若竹の死後、その不義の子の父親が直中公の長子直清であったことがわかり、苦悩した直中公は、若竹とその子(つまり自分の孫)の菩提を弔うため当寺を建立、聖徳太子お手植えの霊木「ハナの木」で観音菩薩を造らせ、また京都の仏師に500体の羅漢像を彫らせて安置した。(冊子参照)
一度、TVで見て知ってはいたが、扉を開き中に入ると、「おっ!」と思わず声が出る。中央にお釈迦様、壁3面に渡って五百の羅漢像が取り囲むように安置されていて、まずは手を合わせる。畳敷きの長椅子に座り、しばらく見回していると、逆に私が五百羅漢から見られているような感じがして、まるで一人、ステージにいるかのような気分。右手の壇上から1つずつ順番に見ていくと、それぞれ喜怒哀楽の表情があり、立っている人や座っている人、身に着けている服や装飾も十人十色違う。個性ある仏像が並び、まさに“現世”を表している“芸術作品”のようで、十分堪能。「亡き親、子供に会いたくば、五百羅漢の堂にこもれ」と、自分の亡くなった肉親に出会えると言われていて、なるほど!っと、うなずける。
羅漢堂を出ると、境内には萩が見頃を迎え、井伊直弼の供養塔や直弼の参謀でありながら処刑された長野主膳の墓、村山たか女の碑などを拝観し後にしました。
北野神社 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:53:45
天寧寺バス停へ行くと、やはり時間になってもバスは来ない。天寧寺から彦根駅まで歩いて30分ほど。15分ほど待ってみたが、やはりバスは来ないので歩くことを決意し、彦根駅へ。彦根駅前のマクドナルドで昼食兼計画の立て直しをし、再び彦根駅から私立病院前行きのバスに乗り込む。バスは彦根城を右回りに運行、天守閣を眺めながら次の目的地、北野神社へ。
北野神社は彦根2代藩主井伊直考公により建立され、祭神は学問・文筆の神様、菅原道真。古くは彦根山にあった祠に祀られていた活津彦根命(いきつひこねのみこと)を彦根城築城の際、この地に移し、御祭神としていたとも伝えられている。(冊子参照)
境内には天神さまの暖簾が掲げられていて、「彦根の天神さん」といった感じだろうか、人々に親しまれているのが雰囲気でわかる。御朱印をいただき、北野神社隣の敷地にはびわ湖108霊場と近江西国霊場の北野寺があり、揃ってお参り。その後、北野寺から数分のところにある、彦根城を完成させた直考公が母の菩提を弔うために建立した圓常寺に立ち寄りお参り。次へ。
済福寺 - モリゾーのひとり言
2013/11/08 (Fri) 14:55:01
彦根駅に戻り、近江鉄道で「ひこね芦川」駅で下車、徒歩10分ほどにある済福寺へ。途中、芦川を渡る橋の上から望む川の色がにごっていて、ここも台風の影響を垣間見る。
済福寺の本尊は5.5mからなる「彦根大仏」と呼ばれている大仏延命地蔵菩薩で、その体内には11代藩主の直中公が夢のお告げによって寄進した安産地蔵尊の胎内仏が祀られ、当時は安産や子宝の祈願寺として崇められていた。(冊子参照)
御朱印をお願いすると、どうぞこちらへと本堂に案内され、扉から覗いた彦根大仏が眩しく安置されている。手を合わせ、その地蔵菩薩を眺めていると、ホッとした気分になり、やはり一期一会、彦根の大仏さんにお会いできて感謝×2。名残惜しいが別れを告げ、その後、びわ湖108霊場の長久寺へお参り。御朱印をお願いすると、寺務所の方とちょっと談笑し、霊場が108もあるとなかなか前に進めない話をし、労をねぎらってくだされ恐縮しきり。いずれは結願をするのは間違いないので、こつこつゆっくり進むしかないが、それはそれで、いい旅の思い出にもなり、今回もまた満足した旅でした。
また5、滋賀の旅 - モリゾーのひとり言
2013/10/22 (Tue) 15:58:29
9月中旬は、びわ湖108霊場と近江西国を周るべく、湖南地区はすべて制覇し、勢いに任せて湖北地区も...と思っていたが、計画を立てていると、1日、2件周れればいい方という遠方のお寺が多く、時間がかかりそう。
まぁ、ゆっくりと急がず行ってきましたよ~
長尾寺 - モリゾーのひとり言
2013/10/22 (Tue) 16:02:09
名古屋から大垣、近江長岡駅で下車し、「伊吹山口」行きのバスの時間まで1時間は駅舎の中で待つ。待っている間、静かな駅構内は、のんびりとした雰囲気で、タクシーの運転手同士、話し合っている以外、誰もいない。目的のバスは伊吹山へ登山に向かう人が利用する路線だが、昼間からの登山は常識的に考えて遅いので、誰もいない。
ようやくバスが駅に到着すると、小回りの利く、こぢんまりとしたバスに乗り込み、いざ出発。
びわ湖108の34番、長尾寺へは「大久保」バス停まで約30分。車窓から青々とした伊吹山の稜線を眺めながら、旅愁に浸り、いつの間にか、細い路地をあうようにバスは進み、海援隊の「思えば遠くへ来たも~んだ~」のリズムが頭を流れる。
「大久保」バス停に到着し、ちょっとした上り坂を登ると、石垣造りの民家が見えてきて、庭の犬が吠えまくり私を警戒しすぎ。
チャイムを押すと留守のようで、仕方なくお堂の方へ行ってみる。当然、中を拝むことはできないが、案内板に毘沙門天像が安置されているようで、お堂の前で手を合わせる。
御朱印はプラスティックのケースに入っていて、遠慮なくいただき、さて、バスの時間まで1時間、どうしたものか、近くのベンチに腰をすえ、ボーっと目の前の景色を眺める。
...っと、目の前の大きな木が何となく、毘沙門天に見えてきて、いい具合に太陽の木漏れ日が後光のように輝いている。(なんてね)思わずパチリとカメラに収め、ず~っと眺めるのでありました。その後、「大久保」バス停から文化センターがある「ジョイ伊吹」バス停で下車し、歩くこと30分ほど。48番の悉地院に到着し、声をかけるがやはり誰もいない。お堂で手を合わせ、御朱印をいただき、再び同じ道を帰ると、どこからか川のせせらぎが聞こえ、癒される。9月とはいえ、まだ残暑が厳しい日中は汗をかきかき、日陰を探しながらの歩行になってしまうが、この年寄り?にはそんな“せせらぎ”さえ気分的に涼しいと感じるようになったのは、相当おじいちゃん化している。
「ジョイ伊吹」バス停に着いても、まだ1時間は待たなければならないので、その間、次に向かう長浜の情報をネットで仕入れ、暇を持て余す。
写真:毘沙門天に見えない?→
神照寺 - モリゾーのひとり言
2013/10/22 (Tue) 16:05:24
近江長岡駅に戻り、米原で乗り換え、長浜駅に到着すると、秀吉、三成の銅像があり、懐かしい。長浜の地は桜の時期に1回だけ長浜城を訪れて以来、5,6年は経っているだろうが、今回はびわ湖108霊場めぐりに市内をディープに散策する。
長浜駅近くのホテルで一泊し、無料で自転車が借りられるサービスを利用し、まずは神照寺へ。神照寺は宇多天皇の勅命により、本覚大師が七堂伽藍の具わった古刹を建立したのが始まりで、度重なる兵火や天災で焼失している。「萩の寺」として有名で、足利尊氏と弟の直義との和解のため、この寺にて仮泊し、このときに尊氏が境内に「萩」を植えたと伝わっている。
そしてこの時期、萩が咲く境内には彩りを魅せ、朝からちらほらと参拝客の姿が見える。拝観料を払い、本堂内で手を合わせ、庫裡にある“お宝”を拝観。本堂を出て、宝物館にある仏像や資料などを一通り見て、歴史の趣に浸る。
長浜八幡宮 - モリゾーのひとり言
2013/10/22 (Tue) 16:08:06
神照寺から長浜市中心部に移動し、長浜八幡宮の鳥居をくぐると、境内は横長に広く西からの参道には大きな松の木が並んでいる。
長浜八幡宮は源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座され、当時、その社頭は本宮の石清水八幡宮を凌ぐぐらいあったとのことで、その後、ここでも兵火によってその社殿はほとんど焼失されてしまった。時を経て、秀吉が長浜城主となるや、社殿の再興に努めたとある。(冊子参照)
拝殿でお参りをすませ、境内を散策すると、弓と矢が置かれた「亀願石」があり、“願い通して矢”というフレーズに足が止まる。その名の通り、穴の中に矢を通せば願いが叶うという代物で、矢が5本。穴の位置は低く、座って的を当てるしかない。ひねくれ者の私には「ふ~ん」と唸るだけで、社務所へ足を運び、御朱印をいただく。
その後、芙蓉の花が見頃を迎えている舎那院でお参りし、次へ。
知善院 - モリゾーのひとり言
2013/10/22 (Tue) 16:11:45
商店が並ぶアーケードを進み、途中、フィギュアで有名な「海洋堂」さんで休憩し、びわ湖108霊場の第43番、知善院を目指す。
知善院は、戦国時代末期に秀吉が長浜城を築城した際に、小谷城から移して鬼門を守らせたと伝えられている。
こぢんまりとした境内の隅に玄関があり、訪れてみると誰もいない様子。まぁ、しばらく待っていれば戻ってくるだろうと、安易な考えで、境内の案内板を読んでいると、同じ参拝客のお年を召した夫婦が見えて、お寺の方がいないことを告げると、「秀吉公の木像」を見に来たのに~と、嘆く。
「あ~、これですか」と案内板にも書かれていた、「秀吉の木像」のことを指し、「結構有名なのかなぁ~」と心の中で思い、御朱印をいただくまでは待っていようと、決心。夫婦の方としばらく談笑していたが、夫婦の方は諦めてしまい、別れを告げ、西陽がまだ暑い最中、辛抱強く待ち続ける。
1時間は待っただろうか、その間、誰も参拝される客も見えず、しばらくすると、奥の方で人の話し声がしてきて、もう一度訪ねてみると、案の定、買い物かどっかから帰ってきた様子。さっそく、御朱印をお願いすると、本堂へ上がって下さいと勧められ、本尊の阿弥陀如来像に手を合わせる。本尊の左手の方には、あの「秀吉の木像」が安置されていて、「こちらもどうぞ近くで見てください」と勧めて下さる。室内が暗いのではっきりと分からないが、教科書かTVなどで、どこかで必ず見たような記憶があり、あの夫婦の悔しがっていた気持ちが、「そうだったのか」と分かるような気がして、残念やったなぁ~と同情してしまう。大阪城落城の時に持ち出された貴重な「秀吉の木像」を拝観することができて、長浜の地が秀吉ゆかりの地であることを改めて垣間見た気がしました。
良疇寺 - モリゾーのひとり言
2013/10/22 (Tue) 16:14:10
長浜中心部から今度は南へ下ると、浅井家三代の墓がある徳源寺でお参り。さらに琵琶湖を眺めながら南へのサイクリングを続けていくと、大きな大仏が見えてくる。その名は「びわこ大仏」。
良疇寺は鎌倉時代、第5代執権北条時頼が創建を命じ、その後、織田信長の兵火や天災による琵琶湖中への陥没を経ながら現在に到っており、「びわこ大仏」は2代目。高さ28mの青銅製で、初代はコンクリート製で造られていたが老朽化に伴い解体され、解体された初代は境内に埋められていて、その上に供養塔が建っている。
きれいに整えられた境内の玉砂利を踏みながら、大仏へと近づくと、大仏の中へ入る入口があり、“体内”には階段が上へと続いていて、お金を払えば“体内めぐり”ができるようだ。さすがに汗をかきかき、自転車をこいできた足への負担は厳しいものがあり、暑さの影響からか上がる気力も湧かず、今回は断念。ただただ、太陽に照らされた「びわこ大仏」は疲れたあるがままの私を受け入れてくれるように見下ろし、ただ、ぼんやりと見上げているだけでも無心になれるのは(ただ疲れていただけです)、大仏の持つ神秘的な力の影響なのだろうか(なんてね)。
びわ湖108霊場のいろんな寺社を訪れることができ、今回も満足×2。
また×20、京都の旅 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:38:42
8月上旬。まだまだ暑い日が続き、体温よりも気温が上回る天候にうんざり。巷でいう熱中症に気を使いながら、夏の風物詩、“花火”をメインに行ってきましたよ~
穴太寺 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:43:42
新幹線で京都に到着し、JR山陰本線に乗り換え、JR亀岡駅で下りると、なぜか雰囲気がソワソワした感じ。というのも、この日、亀岡平和保津川花火大会が催され、浴衣を着た人や駅前の暖簾やのぼり旗などが“ソワソワ”をより醸し出している。
花火は20:00打ち上げなので、まだまだ。その間、亀岡市内の観光名所を散策し、西国21番札所の穴太寺へ。穴太寺へは駅前からバスで20分ほど、穴太寺前バス停で下り、仁王門をくぐると、本堂があり、左手に庭園・本堂内拝観の受付がある。さっそく受付を済ませ、まず庭園を拝観。畳敷きから望む池泉式庭園は置くに多宝塔を借景に見え、いい雰囲気。夏の日差しを逃れるように池の中の金色の鯉が一匹、岩陰へと移動し、それがまだ気分的に涼しくさせるのだろうか、室内にも心地よい風が抜ける。
本堂内に入り、手を合わせ、奥に進むと、一瞬「ぎょっ!」とする仏像が涅槃の形で、しかも、掛布団が肩までかかっている。この涅槃像は釈迦如来涅槃像といい、明治29年に本堂の屋根裏で発見され、諸病厄除けの「なで仏」として御利益があるとのこと。スヤスヤと眠っている涅槃像には申し訳ないが、掛布団をめくり、肩や腰などに触れて御利益を得られるよう手を合わせる。お参りを済ませ、バスの時間まで境内のベンチで休憩。座っているだけで汗がじわじわとかいてしまうこの暑さに、次向かう花火大会の会場に向け気合を入れる。
亀岡花火 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:45:03
バスで駅前に戻ると、夕食の準備のため近くのイオンで買出し。店内に入ると、暑さを凌ぐ人たちが大勢いて、繁盛している。花火大会があるせいか、食料品売り場には特別に設けられた惣菜や弁当などがずらりと並び、私は弁当と凍ったペットボトルを2本買い、いざ会場へ。大堰緑地東公園の会場まではあの「保津川下り」で有名な船乗り場があり、そこを横切り、保津大橋を渡ること15分ほど。
今回、花火を一眼レフで撮るのは初めてで、ネットでいろいろなことを下調べ。三脚やレリーズ、撮影方法を勉強し、中でも花火を撮る上で一番重要なことは「場所取り」。祐ね否花火ほど、午前中から「場所取り」をするのは当たり前で、いい花火を撮るのも一苦労なのだそうだ。亀岡花火は比較的お客さんの数も少ない方なので、午後3:00ごろに到着。地元の方や警備員さんから情報を仕入れ、場所を確保し、三脚を立てて、開始20:00までひたすら待つ。時間が経つにつれて、徐々に見物人の客が増えていき、同じアマチュアカメラマンが私の周りに陣取っていく。
私のすぐ隣、大阪から来たおばちゃんに話しかけられ、花火撮影は熟練した様子で、亀岡花火は初めてとのこと。8/8のびわ湖花火大会がメインで、この亀岡の花火を練習がわりに来ていて、さすが余裕が感じられる。びわ湖花火大会は私も撮影しに行くので、情報交換。京都の宇治川の花火大会や大坂の淀川花火大会などの話をし、あっという間に時間が過ぎていく。
辺りは暗くなり、自分の座っている堤防の眼下に屋台がずらりと並んでいるが、その屋台の明かりが夏祭りの雰囲気を醸し出す。...と「ドーン」と突然、一発の花火が打ち上がり、それを合図に次々と打ち上がっていく。勉強したとおりタイミングよくレリーズのボタンを押しては離し、を繰り返し撮影に集中。結局は運にも左右される花火撮影なので、なかなかに難しいが、再生を見るたびに奥深さも感じるように結構ハマりそう。
帰りはかなりの人・人・人の行列で、JRも増発。JR稲荷駅近くのホテルに宿泊し、明日に備え就寝。
百済王神社 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:46:27
2日目。京阪深草駅で、比叡山1dayきっぷを購入し、大阪府の枚方駅で乗り換え、宮之阪駅で下車。歩いて10分ほどにある百済王神社へ。
百済王神社は百済王(くだらのこにきし)氏の祖霊を祀る神社で、昔はこの地に百済寺もあって、その石碑が百済寺跡地として建っている。中国の百済滅亡後、日本に残留した百済王族の善光は朝廷から百済王の姓を賜り、そのひ孫の敬福は陸奥守に任ぜられる。敬福は陸奥国で黄金900両を発見して朝廷に献じ、その功によって河内守に任じられ、今の地に造営されたとのこと。(ネット調べ)
境内に到着すると社務所にはまだ誰も来ていない様子。時間までしばらくベンチで待っていると、おばちゃんがやって来て、御朱印をお願いする。
「お待たせしてすまないねぇ~」と言われ、「いえいえ、早く来過ぎた私が悪いんです」と謝罪合戦。今日も暑くなり、体調を気にかけて下さり、恐縮しきりで別れを告げる。
許波多神社 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:47:49
京阪宮之阪駅から中書島駅で宇治線に乗り換え、黄檗駅で下車。駅から北西方向を歩いていくと許波多神社がある。
許波多神社は宇治市内に、木幡と五ヶ庄の隣接する地区に2つあり、それぞれ天忍穂耳命を祭神とする神社はこの神社だけ。大海人皇子(後の天武天皇)や坂上田村麻呂が戦勝祈願したと伝えられていて、勝運を授かる神社として信仰されている。(ネット調べ)
拝殿でお参りをし終わると、切り株に残った御神木のコブがそばに置いてあり、これに触れると御利益がある説明書きを読む。その隣には捨て猫のことが書かれてあり、社務所で御朱印をお願いした時、その捨て猫と思われる猫が暑さのせいか、ぐったりと横になって眠っている。しばらく神社で預けられているのだろうが、「拾う神あれば捨てる神あり」という言葉に「捨てる神」って、「神」じゃないよなぁ~と、ひねくれた考えが頭をもたげ、思わずその「コブ」に猫の今後のことをお願いする。
神社を後にし、京阪黄檗駅から京阪宇治駅へ行き、恵心院、縣神社他をお参り。8/9に行われる宇治川花火大会には行かないが、宇治川周辺では関係者が忙しく花火大会の準備をしていて、その雰囲気を味わい次へ。
びわ湖花火 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:49:15
京阪宇治駅から出町柳駅で下車、加茂大橋を西へ渡った交差点のマクドナルドで腹ごしらえ&休憩。花火撮影第2弾は、びわ湖花火大会を比叡山山頂から望む計画。びわ湖花火大会が行われる滋賀県大津市周辺はこの日、混雑が予想されるので、京都側の比叡山から撮影することを思い立ち、前日の亀岡花火同様、スーパーで夕食の買出しをし、いざ叡山電鉄で八瀬比叡山口駅からケーブル、ロープウェイを乗り継ぎ、比叡山山頂へ。午後3:00ごろに到着し、ギャラリーがちらほらとびわ湖を望む場所にいて、私もいい場所を確保、三脚を立てる。この場所は近くにガーデンミュージアム比叡の施設があり、駐車場があるため、車で見えた方は「場所取り」を確保後、車の中で待機している人がほとんど。私は辛抱強く開始19:30まで近くにいた人と談笑。すると、時間が経つにつれ、さっきまで晴れていた天候が雲行きが怪しくなり、とうとう土砂降りの雨に。折りたたみ傘をさし、風雨を凌ぐが、その激しさたるや遠くでカミナリが鳴り出し、西から東へと黒い雲がびわ湖方面へ流れ抜ける様子がはっきりと分かる。そうかと思うと雨が止み、降ったり止んだりの天候を繰り返す、山の天候の変わりやすさをまざまざと思い知り、思わず苦笑い。びわ湖を見下ろすと、霧に包まれ、稲光があちこちで起こり、不思議と雲の形が“龍”の姿に見える。しばらくして視界が開けてくると虹まで現れ、“比叡山おそるべし”と啖呵を切りたくなる。
気になるのは花火大会が行われるのか中止なのか、タブレットで調べると電波が届かない状態。近くにいた人も同じ状態で、とりあえず開始まで待つことに。激しく降った雨も嘘のように晴れ間へと変わり、辺りも暗くなり開始時間。花火が打ち上がるが、線香花火のように小さく「あれっ!」とここにいたギャラリー全員が同じ思いで「あんな小さかったけ~」と嘆く。10発ほどそんな花火が打ち上がり、「な~んだ」と諦めかけた次の1発から間髪入れず大玉が次々と打ち上がり、「フェイントかよ~」とどこかで聞こえる。
ここからは撮影タイムに入り、亀岡で初めて撮った教訓を生かし、レリーズを押したり離したり。あっという間の1時間、満足×2で、いろんな状況が起こったが、終わり良ければすべて良し。これも旅の思い出となりました。
瀧尾神社 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:50:49
3日目。ホテル近くの市バス龍谷大学前のバス停から東福寺道バス停で下り、瀧尾神社へ。以前、TV番組でちらっと紹介していた、拝殿天井に“木彫りの龍”が飾られているのを見て訪れることに。
瀧尾神社の創建は不詳だが、秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在の地に遷座した。境内の伽藍は下村家(現在の大丸百貨店の創始者)の手により寄進され、崇敬されている。
境内には後ほど紹介する三嶋神社や妙見宮の祈願所もあり、お参り。いよいよ“木彫りの龍”を覗きに拝殿へ靴を脱いで上がる。第一印象は威圧感。迫力のある“木彫りの龍”は今にも動き出しそうな姿をしていて、前日に比叡山で見た“雲の龍”を彷彿とさせる(なんてね)。“木彫りの龍”は江戸時代後期の彫刻家、九山新太郎作で拝殿のほかにも本殿の正面や廻廊には木彫りの動物たちがいて、それを探すだけでも楽しく、しばらく境内を散策しました。
豊国廟 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:52:36
東福寺バス停から東山七条バス停へ移動し、東へのびる緩やかな上り坂の豊国廟参道を歩いていく。京都女子大学の横を通り過ぎるこの道は「女坂」とも呼ばれているが、この夏の暑さには大分に堪える。豊国廟はいわずと知れた豊臣秀吉のお墓で、生前、阿弥陀が峰の山腹に遺骸を埋めてほしいという遺言通り、当時、神社を建立した場所。その後、大阪夏の陣を契機に家康が取り壊し廃絶となったが、明治30年、秀吉の300年忌に際し廟宇が再建され、巨大な五輪石塔が建てられた。
受付で禰宜さんだろうか、お話を伺うと、廟までに485段の石段を登ることになり、秀吉が亡くなった63歳を意識して途中箇所の踊り場をはさんで、63段ずつ設けられてあるそうで、もし登るのであれば、荷物を預かってもいいですよと、声を掛けて下さり、お言葉に甘えてお願いする。
まっすぐに天へとのびるかのような石段を登り、休憩を入れながら登る。木々に覆われ日差しは遮ってはいるが、汗はかきかき、つらい。ようやくたどり着いた達成感は一塩で、目の前に“でん!”と現れた五輪塔は、高野山奥の院にある最大の大きさのお江のお墓に匹敵するほどの大きさ。手を合わせ、お参りし、五輪塔の周りを一周してみる。...特に何もないが、ひっそりとした雰囲気に“諸行無常の響きあり”だろうか、ただただ、鎮座している“姿”に寂しい印象を抱く。
三嶋神社 - モリゾーのひとり言
2013/08/16 (Fri) 16:54:04
京都女子大学から北へ、円光大師旧跡の正林寺でお参りをし、さらに数分、細い路地を歩いていくと三嶋神社がある。
三嶋神社の祭神は大山祇(おおやまづみの)大神で、その使いが「うなぎ」。「うなぎ」の神様として知られ、昔、神社の氏子さんたちは神様を食べるわけにはいかないということで食べなかったそうで、絵馬には「うなぎ」が描かれている。
当神社は安産や子授けの御利益があり、平安時代末期、後白河天皇の中宮(皇后)、平滋子建春門院が、摂津国嶋下郡三島江村(現、大阪府高槻市)に子授けの御利益がある三嶋大明神にお願いすると、数日後、夢の中に翁が現れ、「男児が授かるので、その代わり、私を京の巽(たつみ、南東)の方角に祀りなさい」と告げ、中宮は男児(高倉天皇)を出産。喜んだ後白河天皇は平重盛に命じ、社殿を造営したとのこと。(ネット調べ)
境内には、といっても小さな社があるだけだが、その隣には「揺向石(ようこうせき)」という石があり、案内看板に義経のことが書かれていて、義経が奥州へ行くか否か迷ってい
た頃、またまた夢の中に翁が現れ、「早く奥州へ行きなさい」とお告げがあり、奥州に行く決心をした義経は出発前に再び神社を訪れると、夢で翁が立っていた場所に大きな石があり、それが「揺向石」であったとのこと。この石に妊婦の人が触れて、その後、自分のお腹をさすると男児が授かるという御利益もあるそうで、「へぇ~」とおもしろい。
その後、京都の鳥辺野地域を散策。日蓮宗が並ぶ寺院をお参りしていくと、お盆の時期なので、お墓参りに訪れている家族連れが多く、もうそんな時期なんだなぁ~と思いながら暑い京都での1日を満喫しました。